まったりんぐブログ

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【バチカン奇跡調査官】第2話感想「存在のかぎりなき不安」

 雑なあらすじ。

前回の一人目の犠牲者に続き、続々と犠牲者が。

しかし大雨で教会には警察が来るのに時間がかかるというお約束の展開。

子どもたちの遊びと今回の事件は関係があるのか。そして処女受胎と今回の事件、割符は関係があるのかといったところで終わる。

 

以下は感想。

 

例えば、マリア像が涙を流した理由の説明で、直前のルミノールの結果が使われるのだが、マリア像に出た反応は理由の説明で初めて明らかになる。ミステリーとしては定番の手法で、視聴者に与えない情報を登場人物は得ていて、それをもとに推理が展開されるため、理由を聞くまでは「え?なんで?」と思ってしまう。この手法が僕は好きではない。大した理由でなくとも、話す順番を変えるだけで疑問を解決した登場人物がすごいかのように演出することができるのだが、それは視聴者との間に起こる不平等が原因であり、決して登場人物がすごいわけではないからだ。

ミステリーと銘打ちながらこの手法をとる作品はとても多く、それは文学というか作品としては当然の手法なのかもしれないが、好きではない。それは僕にとってはミステリーではなく、ただの不平等だからだ。有名なアニメであってもね。「そうか、そうだったんだ」と言いながら目の前で新たな発見をしたのに、何を見たのかを教えてくれない頭脳は大人な子供とかも同様。あれは比較的話がややこしくなくて1話で終わるからまだいいけど、僕は好きではない。手法がね。

で、この話も例外ではなくて、そういう手法を使ってきそうだということが第2話で明らかになった。こうなってくると、結露って別に目のところだけじゃなくないかってなってくるし、マリア像運ぶのって一人じゃ無理だよね、一人でやったみたいな映像使ってるけどってなる。要は、そんなことされると批判的にしか物事を捉えられなくなる。そっちが何でもありならこっちだって重箱の隅をつつきたくなるよ。最後の神父だけなんで生きてたのかもわからんし、処女受胎も村ぐるみの嘘でもいいよねってなる。

 

出されてない情報があるのは物語としては別に構わないんだけど、主人公たちは知ってて僕らが知らない情報があるってことはそれだけ物語に入っていけないってことをわかってほしい。「実におもしろい」って言ってるドラマもそうだった。本読んだけど、あまりにも科学的な手法をとっていて、「へーそうなんだ」って思っただけだった。ドラマは面白かったけどね。あれが許されてるのは主人公がめちゃくちゃ天才の教授だという設定があってこそだと思う。話がずれた。

で、この物語を今後見るかどうかだけど、たぶんあと1話だけ見る。そこで同じ流れだなってなったら切る。

話がごちゃごちゃしすぎなのもよくわかんないんだよね。小難しい話しようとしてるのに、なんで順番をぐちゃぐちゃになんの説明もなく新しいシーン入れるのかって感じ。完全に視聴者に小難しい話だよって思わせることが目的になってて、理解させようという配慮がない。それはつまり大した話ではないってことなのかもしれない。だからそう演出する必要があると。今のままだとそこまで深読みさせちゃうよって感じ。

 

とにかく、来週見てまともだったらその次の週にまた判断するみたいな感じにする予定。一月後には見てなさそう。

 

 第3話の感想は↓

mattaring.hatenablog.com

 

 

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